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白猫に多い幸運のオッドアイ?その原因と短命になる理由!

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白猫に多い幸運のオッドアイ?その原因と短命になる理由!
アナタはオッドアイという言葉を知っていますか?神秘的で美しい瞳【オッドアイ】をもつ猫についてまとめてみました。良い事ばかりじゃない…オッドアイにはそれなりのリスクがある!?原因や短命、そして魅力。是非アナタもオッドアイの隠れた秘密をご存知になって下さい♪
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白猫に多い幸運のオッドアイ?その原因と短命になる理由!

なんとも神秘的な猫、オッドアイの魅力と謎に迫る

twitter.com
オッドアイの瞳を持つ猫を実際に見たことがない人も多いのではないでしょうか?
オッドアイとは、左右の目の色が異なる猫の事を言います。

宝石のような綺麗な色の瞳は、吸い込まれるような透明感を放っており、その希少性から「幸運を運んでくる猫」と言われる事がありますが、実際に見ると、その神秘的な瞳に魅了されるほどです。

めったに見かけることができないからこそ、オッドアイの猫を見ると幸運に恵まれるといわれています。
見た目の美しさもさることながら、オッドアイの猫にはある性質があります。それを理解した上で、飼うことをオススメします。
どんな猫に多いの?

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オッドアイの猫が生まれる原因は何でしょうか。
それはどんな猫にも発症する遺伝子変異ですが、特に白猫に生まれる確率が高く約25%ほどと言われています。

品種では、ターキッシュアンゴラ、ターキッシュバン、ジャパニーズボブテイルなどと言われており、ジャパニーズボブテイルは白毛の混じった三毛猫に多く見られる事が分かっています。白猫が生まれる確率も低いのですが、さらにオッドアイとなるとかなり少ない確率です。

原因は様々な説がありますが、全てが解明されるまでには至っていません。
オッドアイの猫が生まれる原因とは?

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医学用語で虹彩異色症と呼ばれる先天的な遺伝子異常のひとつだという説もありますが、確定的な原因はまだ分かっていません。
中でも白猫に発症する確率が高く、オッドアイが白猫に多いと言われる所以となっています。

瞳が青くなる原因としては、猫の毛色は色素細胞の量で決まります。白猫は色素細胞の量が抑制されているために、全身が真っ白になります。それと同様に、瞳の色も色素細胞によって抑制されることによって青くなります。

つまり、眼の色素が普通の猫よりも欠乏している為に青くなるのです。
一般的に青い目を持つオッドアイの白猫は、青い目側の耳に聴覚障害を持っているというデータがあります。

一見、聴覚と色素にはなんの関連性がないように思えますが、青い目と難聴は深い繋がりがあります。障害を持って生まれるということは短命である可能性も否定できません。
それぞれの複雑な原因が重なって生まれるオッドアイ。実際に飼ったことのある人の体験談も参考にしてみてください。
オッドアイの気になる性格は?

cattail.halfmoon.jp
オッドアイだからといって、他の猫に比べて特別に性格が異なるわけではありません。
甘えん坊の猫もいれば、マイペースで我道ををいく猫・・・それぞれの性格があります。

一般的には、短髪よりも長毛の猫の方がおっとりしていると言われています。
白猫でオッドアイだと、そのルックスからして神秘的でクールなイメージがありますが、その子の性格にもよるので一概には決めることは難しいでしょう。
オッドアイの猫は短命?美しさゆえの宿命とは

prcm.jp
オッドアイになる原因が遺伝子の異常ということは、正常な猫よりもやはり身体が弱い可能性も高く短命であるという事実が、実際にオッドアイを飼ったことがある人の意見に多くみられます。ちなみに猫の平均寿命は15年と言われています。

オッドアイの猫は聴覚に障害を持っている確率が高く、野生で生きていく場合には聴覚障害は猫にとっては致命的です。
猫は鋭い聴覚で危険を察知したり、獲物を捕らえたりするので片耳が聴こえないということは、生存率がその分下がってしまい、短命になります。

しかも自然界で白猫は、目立ち過ぎてしまうという点でも敵を作りやすく狙われやすい為に短命になる原因だという説もあります。

ただ、野生ではなく室内で飼っていくなら生存競争で命を失う確率は減るのかもしれません。
オッドアイで白猫であることは、同時に短命かもしれないということを理解して大切に家族として迎えてあげたいですね。たとえ短命であっても、愛情を注がれて飼われた猫は幸せです。
オッドアイでなくても白猫には魅了されます

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全身が真っ白な毛色に包まれて、肉球はピンク・・・想像するだけでも美しく優美な雰囲気ですね。
白猫にまつわる言い伝えにはこんなものがあります。

● 招き猫は白猫である場合が多く、縁起のいい猫とされている
● 白猫が目の前を通り過ぎるといいことが起こる
● 白猫は神様の使い
● 白猫は家を守ってくれる
猫は幸運を運んでくれる動物として昔から人々に可愛がられて来ました。
幸運は共に生きてこそ・オッドアイまとめ

いかがでしたか?
神様の使いとも呼ばれ、幸運を運んできてくれると言われているのが納得できるほどの神秘的な魅力を持つオッドアイですが、家族として迎えた際には、健康に気をつけて愛情を注いであげてください。

短命かも知れない事実を悲観視するよりも、いっぱい可愛がってあげることが一番です。
きっと、その猫との出会いや生活を共にすることがあなたを幸せな気分にしてくれることでしょう。

しかし、幸運は猫と一緒に作り上げていくもの。オッドアイの白猫を飼ったからと言って自動的に幸運になれるわけではありませんので悪しからず。

ロシア人声優ジェーニャ 結婚と妊娠を報告 ガルパンに出演、お相手は日本人会社員

アニメ「ガールズ&パンツァー 劇場版」でプラウダ高校のクラーラ役を担当したロシア出身の声優・ジェーニャが14日、ブログを更新し、結婚と妊娠を報告した。
 ジェーニャは「大切な皆さんにご報告です」とのタイトルで、「私事ですが、入籍いたしました。そして今はお腹に赤ちゃんがいます」とファンに報告。すでに安定期に入っているという。
 同時発表となったことについて、「驚いている方もいらっしゃるかと思いますが、ご理解いただけると幸いです」とした。
 お相手の男性は「一般の会社に勤めている日本人の方」で、「とても優しくていつも最大限にサポートをしてくれています」と夫婦仲は良好である様子。
 ジェーニャノヴォシビルスク国立経済経営大学IT学部を卒業し、11年前に来日。「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」で声優デビューした。声優だけでなく、アニメや吹き替えなどのロシア語監修なども手がけている。現在はNHK-Eテレの「テレビでロシア語」にも出演している。仕事は今後も続ける予定で、「暖かく見守って下さい」と呼びかけた。

ひとめで分かる「心が弱い人と強い人のちがい」|メンヘラの第七感

心が弱い人と強い人のちがい

ある人が自殺したときに、「そんなことで死ぬなんて」と言う人がいます。
Aさんには「そんなこと」でも、Bさんには同じことが死ぬほど苦しい場合があります。

たとえば、身長148cmのきゃしゃな人と、身長190cmの筋骨隆々な人がいるとします。
どちらが肉体作業に向いていないかは一目で分かるでしょう。

そんなふうに、心が弱い人と強い人のちがいが一目で分かるといいなと思い、それぞれの心の許容量を入れ物にたとえてみました。

心が弱い人と強い人のちがいを、感受性と心の許容量を入れ物に例えて示した図

心が弱い人は、口は大きいのに容量は小さい、不安定な入れ物です。
同じ量の雨(つらいこと)が降っていても、心の弱い人の入口(感受性)は広いため、雨がいっぱい入ってきます。
なのに、容器(心の許容量)は小さいため、すぐにあふれてしまいます。

また、同じ量の雨でも、一つ一つの雨つぶ(つらい事実)の受けとめ方も、弱い人と強い人ではちがいます。
たとえば、「家族とケンカした」という雨つぶ(事実)があります。
強い人は、「ケンカしたという事実」+「繰り返さないための改善点」+「少し嫌な気持ち」くらいで、そのことは忘れてしまいます。
弱い人は、「ああすればよかった」「こうすればよかった」「でも、向こうもこんなこと言ったんだし…」「だけど、私もああすればよかった」の無限ループで、雨つぶの大きさが2倍3倍にふくらみ、気持ちが収まるまで、仕事のときもご飯のときも、お風呂に入っても布団に入っても、ずっとずっと脳内反省会議をしています。

感受性は、人によって全くちがいます。

アニメ漫画は好きだけど「規制しろ」の声を完全否定できない自分がいる

上の記事に、ちょうどいい例がありました。
Aさんは「過去に戻ってやり直したい」といつも思うのに、Bさんはそう思ったことがないという話です。
(その先の、マンガやアニメがなかったら、過去に戻りたいという発想自体がなかったのではないか、という仮定には「そーかな?」と思いますが)

私もこれを読んだとき、「えっ、過去に戻りたいと思ったことがない人なんて、この世にいるの?」と驚愕しました。
私は一時期、朝から晩まで「あの時ああすればパニック障害にならないですんだのに」「あの時こうすれば仕事を辞めないですんだのに」とばかり考えていたからです。

心が弱い人は感受性にフィルターをかけよう

それでは、心が弱い人はどうすれば楽になるのでしょうか?

容器の口(感受性)にフィルターをかける
容器に雨がたまったらすぐ出す
容器(許容量)を大きくする
自分の心が、入口は大きいのに雨は少ししか入らない容器だと自覚する
このうち私がやったことは、感受性にフィルターをかけて、つらいことを考えないようにすることです。

私はパニック障害です。
この病気は、動悸・過呼吸・胸痛などが起きて「このまま死ぬのでは」とすごく不安になりますが、体に異常はなく、なぜか乗り物の中などで発作が出ます。
発作が起きたとき、苦しいけどそれでは死なないことは分かっているので、その苦しさから意識をそらすため、靴ひもを結ぶことに意識を集中することにしています。

何が言いたいのかというと、苦しみの中には「考えてもムダな苦しみ」と「考えることで次に生かせる苦しみ」があると思うのです。
過去に戻ってやり直したいと思っても、実際にやり直せるわけではない。
恋人にフラれて、恋人を恨んでも、彼女の気持ちは戻ってこない。
そういう苦しみは、考えてもムダな苦しみです。

パニック障害における発作の苦しみも、考えてもムダな苦しみです(※実際にはパニック障害ではない場合は除きます。見極めは難しいので、必ず病院に行ってください)。
だから、ムダな苦しみは考えないよう、靴ひもを結ぶ(=いま目の前にある作業に全集中する)ことで、スイッチを切り替えます。
これは森田療法の一部を私がてきとーにアレンジしたものですが、他の苦しみにも応用できます。
たとえば「過去に戻りたい」と思ったときは、意識してちがうこと(実際に何かの作業をするとよい)をして、苦しいことは考えないようにします。

他にも、私は苦しみを「冷凍保存」するようにしています。
例えば、フラれた苦しみ。これは考えてもムダなので、考えたり整理したりすることなしに、そのまま心の奥に冷凍保存します。一切考えません。
それで、1年2年たったときに開いてみて、まだ苦しいかを確認します。たいてい時がたてば、当時の苦しみは薄れているので、そのまま忘れることができます。

さっき、「考えることで次に生かせる苦しみ」もあるといいましたが、実際にはほとんどないです。
過去に戻れたらああしたい、と考えるのは、次につながるように思えますが、それでも考えるのは一度きりでよいのです。
同じ失敗を繰り返さないためにどうすればいいのか、というのは何かに記録しておいて、後はもう何も考えないようにしましょう。

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感受性が豊かなことはムダなのか|メンヘラの第七感

ここまでの話だと、感受性が豊かなことはムダに思えるかもしれません。

東日本大震災のとき、スピッツのボーカルのひとが、本人は被災していないのに震災うつになったことがありました。
被災していないのに、他者の苦しみや恐怖に共感して、うつになってしまう。
でも、そこまで感受性や共感力が強いからこそ、だれにも書けない詩の世界を紡ぐことができる。
感受性は諸刃の剣といえます。

私は、感受性や想像力はある方なのかもしれません。
たとえば、横断歩道を渡るたびに、「ここで車にひかれた私はどうなるのだろう」とパラレルワールドの私について考えたり、「いや、本当は車にひかれて死んだのに、そのことに気づいていないのではないか」と地縛霊になった私について考えたり、それを横断歩道を渡る10秒くらいの間で目まぐるしく考えます。
または、ある女性にブログをほめてもらった時、すっかり舞い上がってしまって、その人と実際出会って、「赤毛のアンとダイアナみたいにランプの灯で信号を送りあって、友情を確かめあいたいな」「いや、そんなことしないで一緒に住もうよ」と一緒に住むことになって、毎日好きな本について語り合って、おばあちゃんになって白髪が生えてもイチョウ並木を落ち葉を拾いながら歩いたりして、ある日その人は揺り椅子の上で読みかけの本を開いたまま微笑みながら儚くなっていた…というイメージが、3分くらいで走馬燈のように駆けめぐり、あまりに悲しくて泣いてしまったりとか。(*注)

この想像力が、パニック障害の発作時には「自分を襲うありもしない恐怖」にすべて捧げられるのですから、たまったものではありません。
想像力ゆえに、自分で自分を過剰に苦しめている。
フィルターをつければ、そこには恐怖などありもしない。ふつうの人には見えない。
鈍感力がある人は、私のことを「何てムダに気力を浪費しているんだ」と思うでしょう。

私は、こうした感受性のことを「メンヘラの第七感」と呼んでいます。
いらない能力なのかもしれません。
でも、同時にこれは個性であり、想像力の源であり、スピッツのボーカルのひとみたいに適切な形で昇華されれば、すぐれた作品になり得ます。

第七感を持っている人は、ふだんはフィルターをかけて日常生活をやり過ごしつつ、その「能力」を昇華できる道を見つけることができるといいなと思います。

(世の中はあまりに厳しいので、私は、このブログを読んでくれる人くらいには、束の間安らげるような言葉をかけていきたいと思います)

*注:この箇所に、私が妄想したご本人に迷惑がかからないよう「私は異性愛者です」と入れていたのですが、消しました

追記:
心が強い人を低く見ているのではありません。
文中の「心が強い人は、『ケンカしたという事実』+『繰り返さないための改善点』+『少し嫌な気持ち』くらいで、そのことは忘れてしまいます。」という記述、これは素晴らしい現実認識能力だと思うし、これだけで伝わるかなと思ったのですが、「鈍感力」という言葉が悪かったのかもしれません。
言葉が足りなかったと思ったので、来週くらいにまた続きを書きますね。

有村架純、NHK紅白歌合戦の司会に 白組は嵐・相葉雅紀

『第67回紅白歌合戦』司会に嵐・相葉&有村架純

NHK『第67回紅白歌合戦』(12月31日 後7:15~11:45)の白組司会に嵐の相葉雅紀(33)、紅組司会に女優の有村架純(23)が決定した。12日、NHKの番組公式サイトを通じ発表された。有村は初の紅白司会、相葉は嵐として2014年まで5年連続で司会を務めたが、単独では初となる。

今年のテーマは「夢を歌おう」。東京オリンピックパラリンピックが開催される2020年に向けて、今年の『第67回』から、オリンピックイヤーを目前にした2019年の『第70回』までの4年間、この「夢を歌おう」をテーマに掲げ、さまざまな世代の人たちの夢を「歌の力」で応援していく、としている。

相葉は嵐として2010年から5年連続で司会を務めたほか、今年4月からは同局でスポーツ番組『グッと!スポーツ』(毎週火曜 後10:25)のMCも担当。親しみやすいキャラクターとアスリートの素顔に迫る司会が好評を得ている。

有村は2013年、連続テレビ小説あまちゃん』でヒロインの母親の少女時代を演じたのを機にブレイク。来年の朝ドラ『ひよっこ』ではヒロイン・谷田部みね子を演じる。

NHK制作局エンターテイメント番組部・井上啓輔部長は2人の起用理由についてコメント。相葉には「『グッと!スポーツ』では持ち前の明るいキャラクターでNHKのスポーツ番組に新たな風を吹き込んでくれています。番組で培った親しみやすい進行でリーダーシップを発揮していただきたい」、有村には「『ひよっこ』でヒロイン・谷田部みね子役を務めるなど、いま最も期待される女優の一人です。フレッシュさで紅組を力強く引っ張っていただきたい」とそれぞれに大きく期待を寄せいている。

相葉雅紀コメント
こんな大役を僕一人がお引き受けできる立場ではないと思い、本当に悩みました…。でもこの先、僕の人生でこんな有難いお話は一生いただけないと思います。毎年年末に「あの時にお受けすればよかった…」と後悔するよりチャレンジさせていただきたいと決断しました。

今の僕には、ただただ全力で頑張ることしかできませんが、出場歌手の皆さまに気持ちよく歌っていただけるよう精一杯努めますので、どうか皆様よろしくお願いいたします。

有村架純コメント
このお話を聞いたとき、私の人生に二度とない出来事だと思いました。この事実を受け入れるにはもう少し時間が必要かもしれません。それほど、私としてはとってもとっても大きな大きな役目でまだまだ力不足ですし、本当に恐れ多い気持ちでいっぱいです。

ですが、司会を務めさせていただけることに感謝の気持ちを持って精一杯やらせていただきたく思います。 皆さんと素敵な時間を過ごせるように自分自身も楽しみながら役目を果たせたらうれしいです。どうぞよろしくお願いいたします。

猫ってやっぱり変。理解できない行動をまとめてみたら......(漫画)

夜中に家を駆け回ったり、嬉々として箱に入りこんだり……。

もしあなたが猫を飼っていたら、変わった行動には慣れっこかもしれない。飼い主には「かわいい!」と思える振舞いも、飼っていない人にとっては理解できない行動だ。

そんな猫の奇妙な行動を、イラストレーターのダリアさんは漫画で描いている。彼女が描く猫のモデルは、自身の愛猫ディタ。ディタの奇妙な行動に、ダリアさんは毎日振り回されているようだ。

留守中、飼い主に早く帰ってきてほしいと願い待ち続けている犬と違い、猫の生活は気ままそのもの。そろそろ猫好きは認めた方がいいのかもしれない。猫はとてもおかしな生き物だということを(そしてそれが彼らを愛する理由だと)。

www.huffingtonpost.jp

最高年収2000万円以上の家庭で育てられる地獄の辛さを、経験者の僕がお伝えします

僕は贅沢な暮らしの犠牲者

 僕の父親は会社役員だったから年収1200~2000万円ほどあり、高級車などは会社持ちで用意してくれがために、比較的裕福な暮らしだった。
 その上、母親もバリバリ働きに出ていたことで、二人とも値札を見ない買い物を良くしていた。
 この話をすると羨ましいと思う人もいるかもしれないが、それは勘違い甚だしい。
 一見すると猿だけど、チンパンジーのような話である。
 僕は恵まれた環境の犠牲者だ。

僕が求めていたのは札束なんかじゃなくて、引き続く愛情だった

 でも愛を求めて彷徨ったが、いつまで経っても愛の所在地は分からずじまいだった。
 愛は一体どこにあるのだろう?
 父や母が、金と一緒に僕へ手渡したのは、誘惑・快楽・刺激・堕落・麻痺・狂気・倦怠・中毒・依存などなど、神経に作用する負の要素であり、総合すると借金をさせられているような気持ちになっていた。
 好き放題なんでも買って貰って得をしつつも、自分の中の大事な物が奪われて損をしているという感覚が常にあった。
 金持ちの親の溺愛は、常に逆進性を抱えている。
 やはり、親の教育方針が悪いというか、子育てスキルが低いというか、リスクマネジメント不足としか言いようがない。
 二十年前の父と母は、想像力が欠如していたことによって、僕をどん底に落としてしまった。
 つまり父と母は二度、出産している。
 赤ちゃんの僕と、犠牲者という僕を。

お金があったことで、僕がどのような被害を被ったか

 親が僕の喜びそうなものを全て買い与えてくれたせいで、主体的に夢を見てそれを叶える能力が低くなった。
 ありとあらゆるゲームを次々にプレゼントしてくれたせいで、一つの物語を深く学べるほどに執念深くプレイするという集中力が損なわれた。
 欲しいものが一通り手に入る生活のせいで、幼くてして人頼みの精神を持ってしまった。
 頑張ることで何かが手に入るという喜びを教えてくれなかったせいで、自堕落に暮らしていても何とかなるという運頼みで生きる人間になってしまった。
 駄々をこねる前になんでも買ってくれたせいで、我慢出来ない性格となり大学を三日で辞め、それからすぐ100万円ほどの借金を背負う羽目になった。
 待っていれば全て解決するという考えを持つようになってしまったせいで、借金も全て親に返済して貰いのうのうと暮らせるようになってしまった。
 少年期という大切な時期に猛毒レベルの甘やかしを受けてしまったせいで、自ら頑張るという発想を持つことが出来ず、低学歴になってしまった。
 ざっとこんなとこだろう。

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僕は甘やかされて育てられなければ、高学歴エリートであったはずだ

 冗談抜きの話で、僕は年収400万円くらいの慎ましい家庭に生まれていたら、慶応早稲田辺りの大学には一発で合格出来ただろうし、間違いなくエリートコースを走っていたんじゃないかと思っている。
 これは可能世界(クレオパトラの鼻が一センチ低いだけでも歴史が変わっていたはず)という哲学的領域の話になってしまうが、幼少期の僕はどう考えても、名のある何者かになれるだけの才能を秘めていた。
 パステル画みたいに朗らかでやんわりとした性格だったのに、今じゃ血のダイイングメッセージにも劣らないおぞましい人間になってしまった。
 せっかく黄金ロードを歩いていたのに、ちょっとばかし他家よりも多いお金が迫ってきて、僕を横へ横へと押しやり、転落の坂道へと追いやったのだ。
 僕に備わっていた純粋無垢な力は、親の荒い金遣いというぶん殴りによって、全て綺麗さっぱりなくなってしまった。
 これって数億円の損失をしたようなものだ。
 僕は、親のマネーという手枷足枷によって動けない子供時代を過ごしていたから、取るに足らない存在になってしまった。

全ては、親の教育と社会のせいである

 人のせいにしても何も始まらないが、それを理解した上で、何が原因であったかを感情に流されずじっくり考えてみた結果、やはり親と社会が諸悪の根源であること間違いなしだった。
 こういうことを口にすると、「情けないな。お前みたいなもんはどんな環境でも出来損ないだよ」と分かった口を利く人が出るだろうけれど、逆にいってやりたい。「おまえも生まれてみ。来世で年収1000万円以上の家に生まれてみ? 絶対僕と同じような辛さを味わうから」と。
 マネーのダイナミズムによって、僕の心性が台無しになってしまった。
 今や僕は熟成されたナマケモノだ。
 忍耐力は人間の水準に達していないし、快楽を得るために定石を踏むことも出来ないからすぐに女子に手を出そうとしてフラれてしまい、否応なく涙が落ちてくる。
 こうした愚痴を思うままに記事にして世に出すとミソジニーだと蔑まれてしまうし、少し前には、『スーパーナチュラル責任転嫁マン』と罵られてしまった。
 それもこれも全ては、金が持つ魔力のせいだ。
 僕の父親は、山村の暮らしに嫌気が差して都会に飛び出し、そうして一気に稼げるようになった新興成金タイプである。
 だからあの頃は、捨てるように金を使っていた。
 そうした豪快な金遣いが、僕をたわけにしてしまうとは、あの頃の父親は知るよしもなかった。

贅沢という苦行によって、僕は潰れてしまった

 父と母とは今も仲良しであるし、過去の横暴な父と母にも感謝している。
 しかし、好きなだけおもちゃを買ってくれたり、マンガを全巻一気買いしてくれたり、ゲームセンターでは一万円札をくれて飽きるまでプレイさせてくれたり、散々なくらい誘惑されてしまい、そのせいでダメ人間になってしまった。
 袋小路に追い込まれて、ゴールド版でしこたま殴られているような少年時代だったんだ。
 僕の父親は有能な人間であるし、母親もそこそこな人間だから、僕は劣悪遺伝子のようなものを受け継いでいないはずなのに、没落者になってしまっている。
 これは間違いなく、親の育て方、湯水のように使ってくれたお金のせいである。
 世の中には、様々な種類のダメ人間が存在するけれど、やはりそれって親の育て方と、社会の仕組みのせいだ。
 ガキの時代に誘惑に打ち勝てる者などごく一握りであるのに、なぜ僕のわがままを全て叶えてくれるような真似をしたのだろうか。
 飼育法に難があるとしか思えない。
 地団駄など一度も踏んだことがなかった。欲しい、の一言で大抵のものは買ってくれたからだ。
 そのせいで忍耐力を失い、快楽だけを追求して生きるしかない歯止め利かずのモンスターに成り果ててしまった。
 どう考えても親と社会のせいである。
 僕のような被害者を産み出さないためにも、皆さんどうか、子供の育成に細心の注意を払うようお願いします。
 他人のせいにするのは良くない、という考え方が社会には根付いているけれど、実際問題、何者かのせいで人はおかしくなるものだ。
 僕は他人のせい、という外的要因がなければ間違いなくエリートであっただろう。高級官僚になっていたかもしれない。
 誠に残念。至極無念。

お金に困らなかった少年期の絶望的記録

 僕が小学生の頃は、『おもちゃのハローマック』というお店があった。
 そこへ連れて行かれて、「欲しいものは全部買っておけ。二度手間になるから」と父親に命令された僕は、プレッシャーに潰されそうになりながらも、マリオカート聖剣伝説サンドラの大冒険奇々怪界などを適当に指差す。
 すると父親は考える素振りもなしに、すぐさま財布を開いて万札をひらひらさせていた。
 自宅へ向かう車の中で眠ると、大量のゲームソフトに押しつぶされる夢が展開した。

 父親は僕が持つ欲望を日々育成するゲームをしていて、僕はそうやってコントロールされながら、マリオサーキットでドリフト走行をする日々だった。

 親の操り人形であった僕は、買い与えられたスーファミのソフトを全クリするためだけに生きていた。
 ドラクエの勇者よりも冒険時間が長い少年だった。

 小学生の時分は、そのようなモノカルチャーな家庭空間の中でカチャカチャと丸っこいコントローラを握り込むだけで日が暮れた。

 そうした廃人育成環境を作り上げながらも、父親は僕に対して、「勉強しろ。四の五の言うな。ゲームばかりしているとバカになるぞ」と口酸っぱくいった。
 しかしやはり言行不一致の父親、翌日にはがんばれゴエモンドカポン牧場物語川のぬし釣りなどを意味もなく一気買いしてきて、「遊ぶときは遊ぶ。勉強するときは勉強する。切り替え能力をきらきらに磨くんだぞ」と満面の笑みで僕の懐にぐいぐいと突っ込んできた。

 判断能力の低い少年時代に、ゲームソフトが頼む必要もなしに間断なく飛び込んでくるのは、もはや中枢興奮剤を注入させられているに等しかった。
 甘過ぎる味わいの日常を過ごしているもんだから、苦味のある――つまり、自分の思い通りにならないことに遭遇すると、誰よりも大きく叫んだ。泣き叫びを赤子の専売特許にさせてたまるか、という気概を示すように、喚き散らした。
 若くして僕は快感原則の鬼となり、快か不快だけで全てを判断する冷酷な人間となってしまった。
 とりわけ小学校4~6年生は問題児であり、隣に座る男が頬を膨らませているのに我慢ならず立ち上がって、真上から振り下ろすように、その風船じみたツラに拳を墜落させた。
 鼻血を垂らして泣く男の前で僕は、胸中の不快感が雲散して、同時に温かい気持ちになった。
 自己利益の追求こそが幸せに通じるんだ、と幼いながらもぼんやりと考えた。
 ムカツクという気持ちは、ムカツク対象が存在するがゆえに発生する悪性の感情であって、全ては目前の不快物質を始末することで解消する、そう確信していた。
 このようにあの頃の僕は、何不自由なく育てられたことにより、共感意識や忍耐力というものが欠落していて、どこで何をしていても苛立ちが脳と心を支配した。

欲しいと願っているのに手に入らない=虐げられている

 そのため、新作のゲームソフトに取り囲まれながらも、「僕ほどの灰かぶり姫は他に存在しない」と嘆くことを辞められなかった。
 父親の手によって、快楽という地獄に叩き落とされたことによって、全神経に強欲がベタ塗りされてしまい、救いようのない即物的な餓鬼となってしまった。
 老婦人に固めた雪玉を何発もぶつけて、道をどかせたこともあった。

 物心ついて間もない子供にとっての快楽遊びは、脳汚染薬物を投与するのと変わらず、アッパーとダウナーが入り交じる分裂病のような症状を引き起こしてしまうのだ。

 その上、醜い自尊感情を持っていたから、「学校の教師みたいな存在にこの僕が指導させられてたまるか、先公は例外なくろくでもない」と下に見ていたせいで、授業を真面目に受けるということはただの一度もなかった。

幼少期、少年期、青年期の僕に与えられたのは幸せなんてものではなく、劇毒にも勝る快楽という悲劇だった

 奢侈に流された豪華で不幸せな時の流れの中で、自己利益という栄養だけが、僕の心の中に群居していた。

家庭内に愛情はなく、無惨な死体のように金だけが散らばっていた

 愛情が欲しかった。

 愛がない……愛がない。来る日も来る日も愛がどこにあるか、お金はもういい、愛の居場所を教えてくれ、と心の内側で叫び続けていた。

 夫婦の不和も酷く、奇声と打撃音が飛び交っていて、僕は観葉植物にしがみつきながら、「ぁぁああああ!」「あぁあああ!」「あぁぁああ!」と親に負けじと悲鳴を高々と上げることによって、現実逃避を実力行使した。
 心を塞ぎ込んでへたり込んでいると、シャツに血を飛び散らせた父と母が青白い顔をして戻ってきて、そのままゆっくりとではあるが、いつもの日常に回帰する。
 快楽を求める欲望と、現実から逃げ出したい逃避願望が混交してしまった僕は、自分を守りながら一人気持ち悪く楽しむという方針で人生を生きるようになった。

 殻に閉じこもってニヤニヤするような日々の到来であり、そんな僕に奇異の感を抱いた同級生達は、暴力を振るってきた。

イジメを受けるようになったが、もうその頃には戦うという意志は消失していた

 なぜなら、父と母の血みどろの決闘をしょっちゅう見せつけられたことによって、恐怖だけが心を駆け巡り、手も足も出せなくなるという麻痺状態になっていたためだ。
 痛かった。でも笑っていた。
 あれはきっと今思えば、反動形成であり、心の底から嫌だったからこそ、その苦痛を与えてくる奴らを遊んでくれる仲間と認識することで、自我の崩壊を避けようとし、自分を守るために感謝の笑いを偽装したのだ。

人は地獄を天国と勘違いする生き物であり、人は天国を地獄と勘違いする

 悲劇の中で起きる防衛機制は、目前に天国を映し出すプロジェクターの役割をしている。
 厳格な神の存在を信じて疑わない一神教の信者たちは、迫害された過去を持っているものであり、その悲劇ゆえに希望(神様)が生成されている。
 悲しみの中で掴み取る希望というのは、毒林檎も同じで、それを吸収した途端に本来の自分が死んでしまう。
 つまり抑圧という奴であり、人がそうやって自分を抑え込むと、こうした悲劇ゆえに希望を求めて彷徨わなくてはならなくなり、救いを求めて救いを自己創作してしまい、蜃気楼のように脆い喜びを抱えることになる。
 実体もない、事実でもない、そう、神様のようなありもしないものに追いすがって生きるしかなくなってしまうのだ。

希望とは悲劇の産物である、と僕は確信している

 目に見える者に虐待されているから、目に見えない者に助けを乞う。
 希望は不幸の街に存在する。
 希望を見つけたとき、それは悲劇の再認識をしたことにもなる。
 このように僕の心は屈折してしまい、天国も神も信じない、無神の愚か者に成り果ててしまった。

 少年期には既に、夢や希望を謳う人間を生き地獄池の釣り師だと考え、彼らはかわいそうな人間を釣り上げて笑いものにしようと企んでいるに決まっているとしか思えなくなっていた。
 だから僕は、小学校を卒業する頃には厭世主義者であった。
 人は人に迷惑を掛けるために生きているのであり、時計の針は我々に地獄がまだまだ継続することを伝えるために動いているのだと思っていた。

逃亡と快楽追求だけが、人生でやるべきことだと考えるようになってしまった

 そう考えた僕は、将来を捨て、ただ遊ぶことだけを覚えた。
 父親が僕を持ち上げて床に叩きつけようと、勉学に励むことはせず、ただ一人自室に篭もって、黙々とゲームをプレイしたり、小説を読んだりして、生きているという実感から遠ざかり、楽しさ、気持ち良さ、逃避感だけに溺れた。

快楽を追うというのは、実のところ、人生から逃げている行為ともいえる

 人は欲に全力で溺れているとき、我を忘れられるからだ。
 これほど激しい逃亡は他に存在しない。

 ということは僕が現在も快楽主義者なのは、人生から逃げ出したい、人生を終えたい、ということに繋がってくるのであろうか。
 無意識に育まれる自殺願望というものがあるのかもしれない。

 常日頃から、「逃げ出すためにはどうするか? 逃げる他に選択はないでしょう。逃げるために逃げるのです」というトートロジーな時間ばかりが過ぎていて、ただただ逃亡先を探して生きている。
 僕は指名手配犯よりも逃げたい存在なのだ。

こんなにも辛い人生が他にあるのだろうか……

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 あと、全然関係ないですが、クックパッドを見ながらチキン南蛮を作りました。タルタルソースも味薄めで自作したため、栄養たっぷりです。鶏の胸肉をふんだんに使用していますので、イミダペプチドという疲労回復を促進する成分をしっかり吸収出来ます。

1万円のベストセラー本「1日30分勉強法」が凄すぎる!

ドイツの心理学者でエビングハウスという人がいるのですが、彼の記憶に関する実験で、人は情報を記憶しても「1時間後に半分以上忘却」し、「1日後には4分の3も忘却」、さらに「1ヶ月後には5分の4も忘却」ということが証明されています。

 

この実験結果に目を付けた著者は、短期間に集中的に勉強するよりも、定期的に勉強する方が効率的ということを発見し、「勉強する→1週間後に勉強する→1週間後に勉強する→1ヶ月後に勉強する」という効率的な学習スタイルを編み出しました。

 

長期記憶と一時記憶のメカニズム「海馬」

tomolog.hatenadiary.jp